日本サッカーの未来を切り開いた寡黙なカリスマ中田英寿の凄さ

日本人選手のヨーロッパへの扉を大きく開いた日本サッカー界のレジェンド

中田英寿という選手を語る時に必ず振り返る試合がある。

セリエAの1998-1999シーズン開幕戦。
ユベントスVSペルージャ戦で2ゴールを奪うセンセーショナルなデビューを飾ったのだ。

当時のセリエAは今と違い世界最高のサッカーリーグであり、ましてや世界トップクラスの実力と実績のあるユベントス相手に日本人が2ゴールを決めるなんて誰も想像していなかったはずです。


そのシーズン、中田英寿選手はMF(ミッドフィルダー)でありながら年間10得点をあげるという大活躍をするのだが、この活躍がそれまで重たかった「日本人選手の欧州移籍」の扉を簡単なものにしたのである。

この記事ではそんな中田英寿選手の現役時代のプレーや引退後の動きまで解説していきたいと思います。

中田英寿
1977年1月22日生まれ。175cm72kg。山梨県出身。

FW泣かせの「世界基準のスルーパス」

中田英寿選手の最大の特徴のうちの一つがこの「世界基準のスルーパス」です。

小野伸二選手のパスが受け手に優しいエンジェルパス(ベルベットパス)であるのに対してこの中田英寿選手のパスはFWが全力で走らないと取れないが、トラップできれば決定的なチャンスになる「一撃必殺のパス」なのです。

当時の日本代表でこのキラーパスを受けていたのは中山雅史選手や城彰二選手、岡野雅行選手、柳沢敦選手などですが、試合中は一切気を抜くことができなかったので、大変だっただろうなーと容易に想像できますww

しかし、その世界基準のパスを他の日本人選手が目の当たりにしていたからこそ、日本サッカー全体のレベルも世界基準に近づいたのではないでしょうか。

中田英寿選手のもう一つの特徴「日本人離れしたフィジカルの強さ」

当時の日本サッカーは「世界で戦うにはフィジカルで劣る」という固定観念があったのですが、中田英寿選手がその固定観念を覆したのです。

なぜ中田選手は倒れないのですか?という質問には

「倒れるのはカッコよくないから」的な発言をしていました。



重心の低いドリブルとフィジカルトレーニングで鍛えた筋力、そして優れたボディーバランスで体格の良い外国選手をなぎ倒して進むその姿は、まさに日本の王様と呼ぶにふさわしいオーラを放っていました。

その後、稲本潤一選手が現れ、世界にも負けないフィジカルを持った日本人2人を中心に2002日韓ワールドカップでベスト16に進出することになるのですが、やはり日本人の良さであるテクニックだけでは世界のトップと互角に戦えないのではと思ったりします。
(稲本選手に関しては日本人らしからぬパワフルモンスター!ワールドカップ男「稲本潤一」の記事をぜひチェックしてみてください。)

やはりチームに2人か3人は世界と戦えるフィジカルを持っている選手がいなければ「ワールドカップベスト8」には進出できないのではないかなと思います。

引退後は世界中を旅して「自分探し」その後はフリーランスとして慈善事業やサッカー界に貢献

現役引退後は世界中を旅したり、自分の国をよりよく知るために国内すべての都道府県を旅したり、「FIFA親善大使への就任」や「財団法人TAKE ACTIONの運営」「東ハトの執行役員」「カフェの運営」などアクティブに行動しています。

今後中田英寿さんがどのようなプロジェクトに参加していくのか非常に興味深いですよね


まとめ

いかがでしたでしょうか?

この記事をまとめると

・日本人選手が欧州移籍する上でのパイオニア的存在

・FW泣かせの世界基準キラーパスで日本を何度も勝利に導く

・日本人離れしたフィジカルの強さで日本の攻撃陣をけん引

・現役引退後は世界中を旅したり様々なプロジェクトに参加したりとかなりアクティブ

ということがわかりましたね。